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日々感じたこと、思ったことを風化させないように、、、忘れっぽいので。
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ブログの初文─「陰翳礼賛」の感想を纏める折、我が文才の無さ加減を否応なく自覚する羽目となった。
まさに今、他に巧い言い回しが無いものかと脳襞を隈なく睨め回すこと幾十重、あげく何も得ず霊感的なヒラメキに身をやつすのをジッと待ち侘びている次第である。

ふいに、文章というものを研究してみようかと思い立った。ブログで徐々に更新するテーマとしては1日に費やす時間的な間尺も程良い。
今という時代は昔に比べ文章を磨ぐための環境が整っている。例えばネットで検索できる類語辞典などは強力無比なツールであろう。

小説家というものに憧れた一時期、筒井康隆や夢野久作など稀有壮大なスケールの作家の傑作群を読み耽った記憶がある。
憧れに近づくための第一歩はまぎれもなく真似事であり、習練というのは一歩どころか生涯を賭して真似事に徹する事であろうが、人間は何処かに創造的な一面を持っており、あるとき飽き足らずに自身の創意を真似事に塗したてみたいと駆られるのである。

作家の文体は、余程の天分か、想像を絶する幾多の真似事の果てに独自の洗練を見たに違いなく、これを少しでも自分の中に取り込まないのは大変もったいないと思うのである。
むろん、これは何にだって云える訳だが、今こう思えるのはやはりブログが契機となっている。

ブログと似た著述に日記という形態がある。だがこの両者では成立要件が根本的に違う。
日記は密かにしたためるものだが、ブログは「人の目に晒される」ことで著述という行為に緊張感を与え、以って意識的で深い内省を書き手に喚起せしめ、日記では忘れ勝ちになる「他者」の存在に目を向けさせる。

実のところ、日記であろうが何であろうが、自分のためだけに書かれた文章などこの世には存在しない。
あるとすれば完全に自己との対話を自己内だけで完結させた病理的な精神だけであろう。
精神病理患者が書いた文書が支離滅裂であるように、他者を度外視した文章はどんどん曖昧になってゆく。
つまり逆に言うと、「他者」は著述においての前提ですらあって、これを絶妙な匙加減で実現しているのがブログという体系なのだろう。

…と前置きはこれまでにして、まずは「豪華絢爛」とも「音楽的な旋律を奏でるかのよう」とも評される三島由紀夫の文章を分析する。三島由紀夫の数ある作品群の中でも一番印象に残っている「仮面の告白」から抜粋していこうと思う。











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